喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

朝起きれない。このもどかしさを解消したい

春夏秋冬、晴天雨天。人体の神秘を感じると同時に落胆を覚えるほど、朝起きれない。毎日同じ設定で目覚ましをかけているにも関わらず、アラームが聞こえる朝と聞こえない朝がある。

 

アラーム音が聞こえないままに起きた朝というのは、アラームで起きた朝より、なぜだかスッキリした感覚がある。「よく眠れた」という感覚だ。そして時計を見て、よく眠れた感覚の原因が、遅刻ギリギリだからということが判明する。人体の回復に近道はない。

 

これに反して、アラームが聞こえる朝というのは、なんとも腹立たしい。まるで、昨夜アラームを設定した人間が別人であるかのごとく、「まだ起きなくても大丈夫だろ」と今朝の自分は反抗する。アラームが鳴り、止めて寝る。鳴り、止めて寝る。

 

みんなが笑顔で楽しそうに遊んでいる。よく見ると、手招きして「こっちにおいでよ」と誘っているようだ。徐々に近づいていくと、ぽかぽかとした陽気で空気もきれい、花や草木が生い茂り、虫や鳥たちも元気に活動している。とても理想的な、そう、まるで休日に、自然豊かな公園へと遊びに来たような、そんなすがすがしさがある場所に思えた。

 

だがしかし、実はそちらは死の世界。誘われるままにみんなと遊び「良い日だ」と満足したとき、携帯を見ると、上司からの着信およびメールが鬼のように来ている。12回心臓がバクりと鳴って、とび起き、出社。

 

「あともう少しだけ」というこの気持ち。この気持ちが原因で、アラームに気づいていても起きることが出来ない。「そんなのは甘えだ」と言われるかもしれない。実にその通りだと思う。しかし、私の場合は「怒られない範囲で、甘えられるだけ甘えたい」という思いから、ギリギリまで寝ようとしてしまう。結果、その甘えが許容範囲を超えてしまうことがある。実にシンプルな話だ。そして、実に救いようのない話でもある。このような情けないことを言うと、さらに「ダメなやつだ」と言われそうである。しかし、そのようなことを言う人間には「自分のダメさを認められない人間が、他人の悩みなど分かるはずがない」と、合理的かつめちゃくちゃな逆ギレをしてやりたい。少しはこっちの気持ちも理解してほしいものだ。

 

よくゲームをしている子供も「あともう少しだけ」というセリフを使う。つまりこれは、ゲームが終わったあとは、これよりも楽しいことがない、ということだろう。ゲームと同等以上の楽しい事象が待っているならば、ゲームにすがりつく必要はない。

 

私もまったく同じである。睡眠と仕事を天秤にかけた時、欲求に従うのであれば、睡眠が圧勝である。しかし現実、仕事に行かなくてはならない。このもどかしさを解消するには、睡眠を凌駕する仕事の良いところを見出すべきだろう。

 

睡眠で得られるものは、体力。一方、仕事で得られるものは、給料、仲間、自己成長というところだろうか。少し考えても仕事のほうが得られるものが多いように思われる。しかし、それぞれのデメリットを考えてみると、様子は一変する。睡眠では決して感じることのないストレスを仕事では感じる場面があるのだ。これは、得られるものが多いことの代償だろう。

 

つまり、朝の目覚めを良くするためには、職場のストレスを極力少なくし、「今日も仕事に行きたい」と思いながら起床することが必要であるということだ。

 

それか給料を上げて、無理やり社員のやる気をアップさせるとか。または、素晴らしい仲間だけでプロジェクトを進められる環境。あるいは、自己成長を促す強力な人材育成メソッドが構築されているとか。何かしら、ないものだろうか。

 

 

夜早く寝る以外に。