とにかく情報発信をしなければならない、そう思っていた
周囲のブロガーの方々を拝見していると、とにかく情報発信している。毎日の情報発信に余念がない。それも、微塵の義務感も感じさせることなく、価値ある情報を提供している。
それは確固たる決意なのか、承認欲求か。
私もこれまでいくつか記事を書いてきたが、そこに”決意”などは存在しない。まず、このブログのタイトルを決定したのは、今年の正月のこと。酒を飲んだ翌日の昼頃、スマホを見てみるとブログが開設されていた。酔っていても開設できるブログ、それが当初抱いていた「はてなブログ」の印象であった。
そう考えると、やはり「見てもらえると嬉しいから」というのが、私がブログをやっている理由になるのだろう。つまり私がブログを書く理由は「承認欲求を満たすため」ということだ。そしてこのブログでは、特に「毎日更新」などのようなルールは設けていない。そうなると、更新頻度が高いときは、欲求不満であるという公式が成り立つ。
もちろん、毎日更新を確固たる決意で実行している方は、少なからずいるだろう。その意思の強さたるや尊敬に値する。しかし、承認欲求に導かれ毎日更新している方は、それよりも多いのではなかろうか。
今となっては、彼らをそういう目でしか見ることが出来ない。つまり、満たされたいという欲に溺れ、毎日更新を絶やすことが出来ない中毒者。だんだん怖くなってきた。テクノブレイク。
彼らの身体および精神が心配でならない。まずブロガーは、イスに座りデスクでパソコン作業が基本スタイルであろう。そして彼らは、このスタイルで耐久試験のごとく、パソコンのキーボードを打ち続ける。欲求を満たすために。
彼らは、欲求が満たされた快楽で、目、肩、腰の異常に気付くことが出来ない。おそらく、快楽により分泌される脳内ホルモンの影響だろう。痛みを感じることはないが、確実に損傷は拡大していく。
しかし、皮肉なことに欲望は満たされていく。そして満たされた欲望は、さらに強い快楽を求めるようになり、ブログの更新を促す。非常に怖くなってきた。
こう考えると、承認欲求を満たすためにブログを書いている私は、あまりブログを書きすぎないほうが健康的ではないかと、そう思えてくる。なにより、目はとても大切だ。視力を失うと生活が一変する。
よく、「習慣にしてしまえば続けられる」みたいな事を言う方がいる。この理論から言うと、彼らの大半は承認欲求にとりつかれている。「習慣になると続けずにはいられない」、これが実際のところだと思われる。もちろん、それにより得られる利益は大きいだろう。しかしながら、ブログという顔が見えない世界では、当事者の精神バランスまで見極める術はない。ゆえに身体的負担を横目に「習慣にすること」が正しいとされているのではなかろうか。
どうか、皆様もお体ご自愛いただきたい。
私も、「無理はしない」という”確固たる意志”をもって、ブログを書いていきたいと思う。