喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

やっぱりジュースは缶が美味いんだよなぁ

すでにタイトルで言いたいことは言ってしまったので、もうこの記事を終了しても良いのですが、曲がりなりにも世界中に発信しているということで、なんとか頑張って話を続けたいと思います。

 

世はインターネット時代で、最近は小学生とかも普通にスマホでネット三昧でしょう。ゆえにブログという公共の場を使って、「缶ジュースが美味い」とだけ吐き捨てて立ち去る大人は、もはや簡単に見捨てられる。そんなことになると私も意外と傷つくわけです。

 

彼ら彼女らの言葉のナイフは、これからも、ややしばらく磨く必要もないくらいピカピカなわけで、そのくせ切れ味の悪さというものを体感したことがありませんから、さもそれが当たり前かのように無邪気に振り回してくるわけです。

 

傷つきたくないので、文章を続けます。

 

私はよく缶のコーラを飲みます。なぜ缶なのか、なぜペットボトルではないのか。正直、このへんを冷静に考えたことがなかった。もはや己に考える隙も与えない手付きで、レジに缶ジュースを運んでいました。そして、ふと気づくと自分の部屋のデスクでプシュッとプルタブを引き、グビグビやっている。

 

このときの何とも言えない感覚。まるで、最愛の人と抱き合ったような安心感。母が作ったナスの煮浸しのような帰ってきた感。からあげ弁当のようなコレで良いんだ感。

 

では、缶ジュースのどこにそれほどの魅力があるのでしょうか。ペットボトルと比較して見ていきたいと思います。

 

まず見た目。これは言うまでもないでしょう。缶のほうが圧倒的にスタイリッシュです。ペットボトルを想像してください。意味の分からない形をしています。

 

その形状である理由が、物理や化学に裏付けられたものであっても、とうてい理解できません。なぜそこがへこんでいるんだ、というわけです。

 

それに比べて缶は、いかなる飲み物でも同じ円柱型です。これは「完成されている」と言わざるを得ない。

 

次に温度です。これに関しては、ペットボトル信者の皆様も反論できないと踏んでいます。なにせ熱伝導率がケタ違いなわけです。キンキンに冷やせるわけです。

 

こう考えると、夏の部活終わり、ヘトヘトになって座っていた私のもとに女子マネージャーがやってきて、「おつかれ!」と言いながら私の顔に当ててきた飲み物がペットボトルだったとき、これは青春と呼んでいいのでしょうか。

 

というか、ペットボトルの微妙な温度のせいで私のリアクションも薄くなり、女子マネージャーを笑顔にしてあげられない可能性がある。

 

これがキンキンに冷えた缶ジュースであれば、私もギャーギャー言いながら地面をのたうち回ったり、四足歩行で逃げまどったりして、何らかの爪痕を残せることでしょう。ペットボトルよりもだいぶ青春を感じるのは私だけでしょうか。

 

 

最後に、もしかするとペットボトルはキャップがあるから、ゆっくり飲めて持ち運びも出来て便利。という意見があるかもしれません。

 

確かにその通りです。

 

 

ただそれだと、女子マネージャーとシェアする口実が作りにくいなぁと、私は思うわけです。