「なんで勉強しなきゃいけないの?」とか聞いてくる子供いますよね
もし、よその子の親が「うちの子が、『なんで勉強しなきゃいけないの?』って聞いてくるのよ。どうしたら良いと思う?」と私にたずねてきた場合、私の回答は決まっている。
「子供の好きなようにさせてあげるのが一番ですよ。奥さん」だ。
子供の人権を尊重しつつも、奥さんに決して落ち度はないということを伝えたい。ありきたりな答えかもしれないが、とにかく、この奥さんの日々の頑張りを褒めたたえることに全力を注ぎたい。
確かに、子供が勉強するかどうかは育った環境が大きく影響しているだろう。そして、その影響の多くは家庭環境から受けていると考えるのは当然のことである。
ゆえにこの奥さんは、「自分の育て方が悪いから子供が勉強をしない」と思っていると推測できる。悩んだあげく、藁にもすがる思いで、私に相談してきているのだろう。
悩める女性をないがしろにすることは出来ない。ここはさらに踏み込んで、奥さんの精神衛生に貢献したいところだ。
しかし残念ながら、「子供の好きなようにさせるのが一番」という回答には、穴がある。それは「この奥さんは子供に勉強してほしい」可能性があるということだろう。
こうなると非常に難しい。立ち話で済むような次元は超えている。なぜなら、勉強するしないの前に、人間の価値について議論しなければいけないからだ。人間の価値といっても、どの観点で論じるかも明確にする必要があるだろう。社会的価値なのか、いわゆる人間性なのか。
つまり子供にどうなってほしいのか。その中で、勉強というのはどういった役割を担うのかを話す必要がある。
さらに加えて、悩める奥さんの気持ちを救いたいわけである。これは間違いなく、喫茶店に行くべきだろう。美味しいパンケーキを食べながら話しましょう、という感じである。
喫茶店に着く。平日の昼間なだけあり、人はまばらだ。
私と奥さんの議論が始まる。社会的価値を高めるため、あるいは、良い人間性を獲得するために勉強は必要かということである。私の意見としては、子供の好きなようにさせることに変わりはない。
奥さんは言うだろう。「勉強をすれば、今後の進学や就職での選択肢が増える。そうすれば、希望通りの進路に進める。私はなにも自分の子に成功者になってほしいわけではない。普通に幸せに暮らしてほしい。」
ここで言われている勉強は、「学力」というツールを意味しているだろう。確かに、学力があれば、入れる学校や会社の選択肢は広がる。
では、自分の希望通りに物事が進めば、そこには幸せがあるのだろうか。統計的な話を持ち出すと、学歴がある方が幸せになる可能性は高いのかもしれない。
だが、学歴社会や資本主義の中で、いかに幸福度を高めるかは、学力や経済力と別枠のように思う。学歴やお金があっても、もどかしさを感じている人は少なからずいるだろう。優越感と幸福感は区別しておかなければならないのだ。
こういった確率論の中では、どのような情報を集めてどう集計するかによって、判断が左右される。子供が勉強するかどうかと同じように、子供に勉強させたいと思うかどうかも、また環境に依存しているということ。
つまり、”そう思う”ということは、その環境にいるからという事が理由であり、その環境にいるから”そう思う”のは当然ということだろう。個人の価値観とはその程度のものだ。
つまり、奥さんは奥さんの思うようにしたら良いということで。私は奥さんの考えを受け入れたいと思う。
ところで奥さん。また今度、お茶しませんか。
予定は奥さんに合わせますよ。