喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

「ありがとう」の意味でクラクションを鳴らす人間とは友達になれない

ノミの心臓を体現した存在である私のような人間にとって、何が怖いということはない。言うなれば、なんでも怖い。

 

当然のごとく、学生時代はヤンキーが前方から闊歩してくると、肩が削れるほど壁にすり寄って窮地を逃れたものだ。あと中型犬以上の犬を飼っている家には、遊びに行けない。というか、小型犬でも気性によってはNGだ。

 

もし皆さんが私と一緒に遊園地に行ったとしても、「ジェットコースターに乗ろう」などという、ふざけたノリはやめてほしい。大変申し訳ないが「ジェットコースター」の「ジェ」の字を口走った瞬間、その口にチュロスをブチ込ませていただく。そして、そのチュロスを上下左右に動かし、「コーヒーカップに乗りましょう」という口述にいざなう。

 

夏、「海に行こう」と誘ってくる人たちがいる。海はとにかく危険だ。海事態もさることながら、そこにいる人間が危険。まず基本的に海にいる男はマッチョだ。しかも1年のうちの最高のマッチョを夏のこの海に合わせてきている。筋肉がいろんな意味でたぎっているだろうし、そのたぎりが暴力性をもって襲ってきたときの恐ろしさたるや想像に難くない。そして女子。「良い男をゲットしたい」という欲求が行き過ぎるあまり、良くない男への態度が横柄だ。やめてほしい。

 

常々、世の中には恐怖の種が潜んでいると、そう思う。

 

そんな中、先日家の近くを歩いているときに、車道に合流する車がクラクションを鳴らした。状況から察するに、道を譲ってもらった車が「ありがとう」の意味で鳴らしたようだ。突然の大音量に、例のごとくビクッとしてしまった。

 

そもそもクラクションは、そのような用途で使用するものではないだろう。基本的に「警告」の意味で使うはずだ。私に至っては、意図的にクラクションを鳴らしたことなど一度もない。自分の腕が当たって鳴ってしまった時も「なにごとだ!?」とビックリして、キョロキョロしてしまった。とてもかわいらしい。

 

普通ならば、道を譲ってもらった場合は「手をあげて、軽く会釈」、これが基本だろう。だがしかし、なぜ彼らはクラクションを鳴らすのか。「手をあげて、軽く会釈」と「クラクション」の違いから、クラクションの優位性を考え、彼らがクラクションを使う理由を推測したい。

 

まず、思うに両者の大きな違いは、視覚か聴覚かという点だと思われる。人間が得る情報の多くは視覚からによるものだが、車同士だと伝わりづらいものがある。それに引き換え、大音量で聴覚に訴えれば、確実に感謝を伝えられるというわけだ。

 

次に拡散性。「手を挙げて、軽く会釈」しただけでは、譲ってくれた車にしか伝わらない。だが、実際にはその後ろにも待っている車がいる。クラクションの大音量で感謝することで、後続の車にも感謝を伝えることが出来るというものだ。

 

こうして考えると、理解できる点はあるようにも思えてくる。

 

これらから推測すると、道を譲ってもらってクラクションを鳴らす人は「めちゃくちゃ感謝している」ということが言えるだろう。「絶対に、ありがとうを伝えたい」「譲ってくれたみんな、ありがとう」という意味を込めてクラクションを鳴らしている。

 

だが、やはり迷惑なことに変わりはない。関係ない人を驚かせてしまう。

 

こうなったら、窓を開けて大声で「ありがとう!!」と叫べば良い。そうすればルール違反にはならないし、「ありがとう」という言葉の意味で音量を中和できる。ゆえに周囲に与える衝撃も抑えられるだろう。

 

でも、それはそれで怖いか。