毎日更新絶対無理
まぶたが重い。頭が回らない。無理に書いたら支離滅裂。「やはり”毎日”は現実的ではない」と確信している。昨日がまさにその典型。ブログの毎日更新を断念してから数日が経過していた。「今日こそは」と思い立ち、半開きのまぶたと、一足先にベッドインした脳みそを置き去りにしてデスクに座った。
パソコンを開き、電源をつける。思いのほか順調なすべり出しである。確かに、激しい睡魔に襲われているが、なんだか今日はいけそうな気がする。ウィズ睡魔でもいけそうな気がする。完全に夜も更け、人によっては寝ている時間ではあるが、このくらいの時間まで会社で仕事をすることだってある。
とにかく、なんだかいけそうな気がする。
私だってサラリーマンである。遂行しなければいけない任務をこなしてきた。今日残っている任務はただひとつ。「ブログを書く」、それだけだ。
イメージは出来ている。まずメモ帳から、元ネタを探す。そして、タイトルを決め、それをもとにして、あれやこれやと論説をかます。頭をひねらなければならない時もあるだろう。そんな時は、これまで書いてきたブログの展開を参考にして、突破口を切り開けばよい。
もちろん、文字数はそんなに多くなくても良い。なにせ、ウィズ睡魔。そして、眠気だけならまだしも、夕食をたっぷり食べたせいで、お腹もいっぱい。おまけにビールも飲んだため、ほろ酔い状態。
世間の方々も、これだけ大きなハンデを抱えている人間に、「網羅性の高いブログ」や「面白いブログ」を求めてはいないだろう。
イメージが固まってきた。とにかく、なんだかいけそうな気がする。まず最初に、タイトルを書き、次に1行目の文章を書く。
目をつぶれば無限に広がるアイデア、文章、話の展開。それをそのまま具現化すれば良いだけである。実に簡単。2行目の文章を書くために、目をつぶろう。
私が書いたブログを読む人々の笑顔が浮かぶ。このブログを見てくれる方々が少しでも楽しい気分になってもらえれば、それ以外はなにもいらない。次々とアイデアが浮かんでくる、キーボードを打つ指が追い付かいない。アドレナリンが出ているせいか、どんどん力がみなぎってくる。「なんだ、これなら毎日更新も夢ではないな」、そうつぶやきながら、高鳴る鼓動、沸き上がる衝動、あふれ出るアイデアをキーボードにぶつけた。文章を書けば書くほど、心が解きほぐされていく。まだ世に出していない文章だが、文字に起こしただけで、まるで自分の考えをだれかに認めてもらえたような、そんな気分になった。
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今、ここまでこの記事を書いていて気づいた。自分が夢落ちに向かっていることを。
とにかく書くことがないのだ。これまで普通に話がスラスラ出てきていたのは偶然だったのではないかと、錯覚するほどに。
まぎれもなく、今までこのブログの記事を書いてきたのは私である。だが、まぎれもなく、今まったく文章が思いつかないのも私である。脳みそのどこの部分をどのように動かしていたのか、まったく思いだせない。というか、今までまったく意識などしていなかった。
そう、無意識に文章が湧き出てきた。天才である。
それに比べ今の私はどうだろうか。このブログを読む方の気持ちも考えず、自分がいかにこれまで凄かったかを述べ、さらに文章が書けない現状を言い訳がましく吠えている。
まるで、窓際中年サラリーマンである。
窓際サラリーマンのように、新たな挑戦をしなければ、人生に彩りがなくなっても仕方あるまい。どうやら私は挑戦が足りていないようだ。何か新たなことに挑戦し、それをブログという形でアウトプットしていく。
これが、豊かな人生というものではなかろうか。
ブログのためにも、そして自分の人生のためにも、これから新たな挑戦をしなければ、毎日更新など夢のまた夢である。
知らんけど。