喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

こんな日はブログなんて書きたくないものだ。

まごうことなき曇り空である。24時間365日休むことなく、ブラック労働を強いられている太陽ですら、今日は手を抜く日だ。私もかねてから太陽の労働力には一目置いていた。今日くらいはのんびりしてほしい。

 

まごうことなき曇り空である。1日8時間働き年に120日以上は休む私ですら、今日は手を抜く日だ。私自身、かねてから休みすぎのような気はしている。しかしながら、リモートワークが導入され始め、それに伴い労働時間で人材価値を評価する時代は終わりを迎えようとしている。つまり、成果主義の始まりだ。我々は、そんな荒波を泳いでいる。つべこべ言わず休みの日は休むべきだ。

 

今私は、喫茶店内の全体を見渡せる席に座り、ナポリタンを食べながら、オシャレな休日を過ごす女子2人の会話を聞きつつ、この記事を書いている。非常に「優雅」な環境である。しかしながら、どうしても気になる点がある。

 

そう、ブログを書いてしまっている。ブログを書くには、なかなか頭をつかう。これでは休みになっていない。曇り空でテンションが上がらない状況のなか、それでも喫茶店に来て「優雅な時間」を過ごせる環境にはある。それでもブログを書いている。

 

つくづく習慣とは恐ろしいものだと思う。

 

まごうことなき曇り空である。ブログが習慣になっていない頃の私であれば、曇りでテンションが上がらないという理由で間違いなく更新を休んでいた。さらにそのほか、あらゆる些細な理由をつけてこれまでブログを休んできた。「足の小指をぶつけて、痛みで集中できないから休む」、「前日に人から褒められて、褒められるくらい頑張った自分へのご褒美として休む」、「テレビで脳を休めたほうが良いと聞き、それじゃあと思い、休む」。

 

にもかかわらず、ブログが習慣になってしまうと、書かないと気持ち悪いという感覚になるから不思議なものである。

 

基本的に人は、特別やることがないときは、日ごろ習慣としていることをやろうとするように思う。私の場合は、それがブログなのだろう。ゆくゆく考えると、ブログをやっていなかった時期は、休みの日でも仕事関係のことをしていた。というか、今でもブログのやる気が出ない時は仕事関係の書籍などを読んでしまう。

 

誰か止めてほしい。純粋に休みを謳歌することが出来ない。

 

いっそのこと思いつく限りの娯楽に興じてみようか。ちょっと今からタピオカでも飲んでこようか。タピオカを飲んだあとは何をしよう。何をすれば良いのだ、分からない。ちょっと待て、冷静になれ。タピオカは飲み物ではなく、スイーツと聞く。つまり、多少お腹が満たされる。そうなると、次はちょっとした運動を入れたほうが良いのではないだろうか。ちょっとした運動とはなんだ。休日は喫茶店と家の往復しかしていない私である。それ以上の活動を「運動」と定義するならば、その選択肢たるや膨大である。落ち着くんだ。冷静に分析しろ。タピオカを飲んだとする。お腹の満たされ具合で言うと、おにぎり1個分くらいだろうか。そうすると、世の中の「スポーツ」と呼ばれる類いの活動を行うほどではないだろう。野球、サッカー、バスケット。これらの運動は、このときの私には過剰なように思われる。そこまでしなくても、タピオカは十分に消化できるだろう。

 

そうすると、ウォーキングだろうか。ウォーキングはなかなか良さそうだ。いやいやちょっと待ってほしい。ここまで「タピオカを飲んで歩いた」だけである。私の休日はまだまだ長い。

 

 

誰か助けて。