喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

「疲れた」というテーマで記事を書きたい

私の記事の書き方は、「よし、書くぞ」と思い立ってからパソコンを開いて考え始めるという、まったくお手本にならないスタイルだ。

 

そして最近、激しくネタが枯渇している。どれだけひねり出そうとしても、1ミリも浮かばない。糸口すら見つからない。

 

なにより、「書こう!」と意気込み、パソコンを開いた瞬間にまぶたが重くなる。これを見ている方も、このような経験はあるだろう。しかし、失礼を承知で言うが、そんなものとは比べ物にならないほど圧倒的な重量感をもって、まぶたが閉じてくる。そして、そのまぶたの閉じ具合は、文章を書くのは困難だが、ユーチューブを見るにはちょうど良いものなのだ。

 

また、たとえまぶたの機嫌が良いときがあっても、シンプルにネタが浮かばない。今までネタを捻出していた脳みその一部が吹き飛んでしまったかと思うほどに。そこで、ひたすら人間観察をしてみるが、「こうも一般人の日常は平凡か」と落胆する。逆に強烈な個性のギャルをブログのネタにするのはハードルが高く、素材を活かし切れる気がしない。

 

悩んだあげく、今までの自分の記事を見返してみると、どうやら特別なことは起きていないように思われた。しかし、特別なことが起きていない反動からか、ぶっとんだ思想が炸裂している。ともあれ、今はその変態性を無視して、ネタを生み出すノウハウをたぐり寄せたい。

 

ここまで思案してみると、どうやら「特別な経験」よりも「ひらめき」のほうが大切なのではないかと感じてきた。「ネタが浮かばない」=「ひらめきがない」ということだったのではないか。

 

もしこれが事実ならば、「ネタは浮かばないときは浮かばない」という結論が正しいだろう。経験ならば、自分から行動すればある程度は獲得することが出来る。ところがひらめきは、自らコントロールすることが難しい。

 

ではどうすれば良いか、答えはひとつ。ひらめきに頼らない記事だ。

 

そして、今の私でも実現可能でそれを満たすのが「疲れた」というテーマの記事だと思っている。世界的に見ても日本人はとにかく疲労している。疲労が解消される気がしない。ゆえにこのネタは尽きることがない。パーフェクト。

 

しかし、この「疲れた」というテーマひとつで、どこまでバラエティ豊かな記事を書けるかは己の腕しだい。たしかに身体的疲労だけでも、肩、腰、首、肝臓、胃などなど、いろいろな部位を持ち出してあれこれ理屈をこねることは出来る。

 

ただそんな記事、まったく読みたいと思わない。医療関係者のブログかと誤解されてしまう。というか、医療関係者のブログならばぜひとも読みたいと思うが、私はド素人だ。ぼやきの領域をでない。

 

やはり「疲れた」というテーマで、ある程度のフォーマットを確立しつつ、ネタ切れなく記事を量産するためには、「疲労回復」がベストだろう。各部位の疲労のメカニズムや回復方法を発信する。しかし、それを実現するためには猛勉強し、自分の意見を信用してもらえるだけの経験を積まなければならない。10年以上はかかるだろう。その間、家族や友人との交友も控えなければいけないかもしれない。アルバイトで食いつなぎ、空腹に耐えながら勉学に励む生活になるだろう。

 

ただ、ここであきらめるわけにはいかない。なんとしてもやり切って見せる。

 

そうすれば、最後は立派なお医者さんになれると信じて。