ネタがないときは、ケータイのメモ帳をあさっている。
毎度毎度、ネタがないと愚痴ってはいるものの、気持ちがブログに向いている時は、些細なできごとをケータイのメモ帳に記録している。そして、ネタに困ったときはメモ帳をあさるのが、お決まりのルーティーンだ。
そして、この度もネタに困りメモ帳をあさっていた。そして、この度は非常にマズイことになった。ネタになるようなメモがひとつもない。
冒頭申し上げた通り、気持ちがブログに向いている時は、些細なことでもメモっている。つまりこの現象からは、いかに私にブログへの愛着が欠乏しているかが分かる。いかに私のライフスタイルにブログが定着していないかが明白である。
しかし、地道でも良いからブログを続けていく。そう決めている。
愛着がないにも関わらず、どこから来てるのか皆目見当がつかない使命感に追われ、今回は筆を執っている。
昨今、ユーチューブ時代。「好きなことで生きていく」というキャッチフレーズがはびこり久しい。そんな中、私は「好きか分からないが生きていく」という、ゆとり世代または悟り世代の事実上の核となっていると言えよう教訓を体現している。これこそ現代っ子の権化である。
そんな私が、この度ブログを書くために選出したメモが以下である。
〈メモ〉
・マヨネーズ
・キャベツ
・豚肉
・お好み焼きの粉
・卵
お分かりいただけるだろうか。このメモから、筆者のこのあとの予定が。そして、私はこのメモから、己がいかに倹約的な成人男性であるかに気づかされた。お分かりいただけるだろうか。
そうである、ソースがない。つまりこういうことである。
とある日、私は今夜食べる夕食を決めた。そして、買い忘れがないよう、必要な材料をメモしたのである。そして同時に、すでに家にある材料をこのメモから省いたのである。そう、誤って買ってしまわないように。
これを読む女性諸君は、「何を当たり前なことを」と言うかもしれない。しかし、これを読む女性諸君の将来のために言いたい。多くの成人男性は、こんなことすら出来ないということを。
そしてさらに、これらポンコツ男性を踏み台にして言いたい。私は”無駄なものを買わない”という、女性がごく当たり前に求める要求を息をするように実行していたということを。
確かに私は、好きかどうかも分からないのにブログを書いている。そう思っていた。しかし、この行動を鑑みたときに、別の解釈も出来ることに気づいた。
それは「ブログを書いて当たり前」ということである。
つまり、ブログの存在が自分の中で当たり前のものとなっていた。ゆえに、愛着に気づくことも出来ず、自分と最も近い存在であったはずのブログに対する意識が薄れていた。こういうことではないだろうか。
だんだん己の愛情深さが恐ろしくなってきた。今にも、この文字を打っているパソコンを抱きしめてしまいそうである。
私のブログに対する愛情、そして、私がいかに旦那としての素質を備えているかを世間に表明できたところで、今回は終わりにしよう。
お好み焼きも作れるので、どうぞよろしく。