喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

久々の喫茶店にドキドキしていた。

依然として油断できない状況が続いている訳ではある。しかしながら、「喫茶店に行きたい」という欲求が高まってきていた。もちろん、在宅においてもカフェインの摂取をおこたることはなく、時にはブラック、時にはラテ、そして時には梅昆布茶と、実にバラエティに富んだカフェインライフを楽しんでいた。

 

しかし、何かがたりない。在宅勤務に伴い、作業机を新たに買い、わりかしオシャレなイスも手に入れた。それだけにとどまらず、間接照明でムーディーな雰囲気の演出も済ませている。

 

「喫茶店に行けないならば、わが家を喫茶店にすれば良い」。こんな安直な考えから、誠心誠意のオシャレを表現していたつもりだった。最初は満足していた。新しい家具たちを目の前にして、ついに自分の中のオシャレが覚醒したとさえ思っていた。

 

「やっぱり自分はオシャレだったんだ!」と。

 

しかし、「さめない夢はない」とは、まさにこのこと。雪崩のように押し寄せてくる「生活感」に、これら即席のオシャレが敵うわけもない。しだいに、当初のオシャレさを感じることもなくなり、喫茶店の完成された空間に身を置きたくなった。

 

しかしながらこんな時期である、依然として油断できない。というわけで、しっかりとマスクを着用し、入店時は十分にアルコール殺菌を行い、いざ入店したしだいである。

 

ちなみに、ここで「マスク」「殺菌」というワードを入れておかないと、非難の声が上がりそうで怖いので、この記事になんの関係もないが、無理やりねじ込むとしよう。

 

ともあれ、久々の喫茶店である。さすがに人もまばらで、快適さに拍車がかかっていた。のんびりアイスコーヒーとフレンチトーストを食べていると、隣の席に二人組の年配女性客が座った。「隣の席」と言っても、人はまばらだ。そうだな、、、だいたい1.8mくらいの距離だろうか。そう、ちょうどソーシャルディスタンスくらいには離れた席に二人の年配女性が座った。

 

ちなみに、ここで「ソーシャルディスタンス」というワードを入れることによって、いつ何時でも、私は感染予防を意識しています、と表明する作戦である。

 

見事なまでに美しいソーシャルディスタンスを保った私と年配女性たち。とりあえず一安心しながら、コーヒーを飲み、本を読んでいた。

 

年配女性の声がする。よく見ると、片方の女性はもう一方の女性よりも、ひとまわりほど若いように見える。その若めの年配女性が、ひとまわり年配の女性に饒舌に話しかけている。

 

聞くに、話題は「インターネットとメール」について。「インターネットとは何か?」「メールとは何か?」についてである。それを若めの年配女性が、ひとまわり年配の女性に説明しているようだった。

 

その答えがこうである。「インターネットとは、世界と繋がることができるもの」、「メールとは、お手紙をやりとりするようなもの」。

 

素敵ではないか。

 

コロナウイルスで、世界中が塞ぎがちになっている昨今。若者であっても外出する機会は激減しているだろう。このような状況で、年配の方となれば、その比ではない。

 

ひとまわり年配の女性の状況に、少しでも役に立てればと思い、この若めの年配女性は提案しているのである。そして、ひとまわり年配の女性は、なるほどそういうのがあるのかと、おおきく頷いている。

 

確かに、テクノロジーが発展していくことは喜ばしいことだろう。しかしながら、年配の方や教えてもらう機会がない人は、意外と手前のところで止まっているのかもしれない。もしかすると、人によっては本当に必要ないのかもしれないが、なかにはインターネットやメールに感動する人もいるだろう。

 

当たり前のようになっているが、インターネットやメールひとつで、気持ちが明るくなる人もいるんだろうなぁ、と思いながら会計へ向かった。

 

ちなみに、会計へ向かう直前。ひとまわり年配の女性が「おばあちゃん、ホットケーキミックスって知ってるかい?」と聞かれ、それは何だい?という顔をしていた。

 

 

このおばあちゃんには、早めにインターネットを繋いであげたほうが良いと思った。

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