喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

世間には媚びない。そう決意していたはずだ

趣味の範囲だ。そう思い、このブログはやりたいようにやっている。巷で聞く、閲覧数を伸ばす方法や、ブログで稼ぐ方法などは、自分の性格には合っていないと思っている。

 

しかし、人間というのは実に欲深い生き物である。「どうせなら閲覧数を増やしたい」、「どうせなら小銭程度でも稼げないか」と欲が出てきてしまう。私が常日頃抱いている「みんなを楽しませたい」、「読んでくれる人が少なくても、それでも楽しんでくれる人がいるなら、それで十分」というピュアな気持ちが、人間が潜在的に備えているこれらの欲望によってかき消されそうになる。本当に人間とは怖い生き物だ。

 

私は素晴らしい家族に囲まれ、思いやりのある友人にも恵まれて育ってきた。今まで出会ってきた全ての人に感謝しているし、もちろん、このブログを読んでいただいている方にも感謝している。本来であれば、これほど純粋無垢で、周りへの感謝を忘れず、なおかつ自分自身が成長して皆様に恩返しをしたいと望んでいる私が、ブログでひと儲けしたいなどという考えに至るはずがない。

 

本当に人間とは怖い生き物だ。こんなピュアな心の持ち主にさえ、邪心が牙をむく。こうなると私はもはや被害者と言って良いだろう。

 

確かに、社会という弱肉強食の世界の中で淘汰されぬよう、ときに野蛮に、そしてときに冷徹に乗り越えてきた。その生き残りが我々である。テクノロジーの発達に伴い、価値観は常に変化している。その中で、私がたどりついた生きる価値というのは「自己表現」のはずであった。自分自身の考えを発信し、その発信に対する共感で喜び、批判で成長する。それこそ人生であると、そう確信していた。しかし、私の中の人間は、なぜそんなときにブログでひと儲けしたいと考え始めるのか。

 

本当に人間とは未熟な生き物である。

 

しかしながら、現実問題、どれだけ邪心むき出しで頑張っても、とてもひと儲けできる状態ではないのがこのブログ。儲けたいという感情は瞬時に消え去り、楽しんでもらいたいという思いが沸き上がる。

 

だが、もしもこのブログの読者が増え、閲覧数が増えたらどうだろうか。「もしかしたら」という感情が出てくるだろう。その「もしかしたら」が、もしかすれば良いかもしれない。しかし、そもそも私は「もしかしたら」という気持ちになるのが怖いのだ。「今やっている事を、これまで通り全力でやることが出来るだろうか。」と不安になってしまう。そちらに気を取られて、どちらも中途半端にならないか。仮に仕事とブログがあった場合、どちらかがうまくいっていない時は、どちらかに逃げてしまう。結果、本来乗り越えて成長するべきところで、乗り越えられない。そんなことが怖いのだ。

 

進むべき道が分かっていても、まっすぐは進めないのが人間なのだろう。

 

そして、このブログが何を目指しているのか、自分でも分からないが、とりあえずひと儲けは出来なさそうだ。