さすがに、ちょっとは運動しないといけないわけで。
まぁ、他人の日頃の運動量など、どうでも良いでしょうが。私は日々、運動不足を極め倒しているわけです。
一応、私も社会人の端くれですから。しばしばビジネス書なり、意識高い系ユーチューブなりを拝見して、勉学に励みます。その中でも、やはり「習慣」というのは絶大な威力を発揮するようです。
そして、この「習慣」の力が、私の運動不足を確固たるものにしています。
本来、「習慣」というものは、「努力」の先にあるものらしく、確かにこの論説は、私も納得できます。毎日努力し続けることで、いつしかそれをやらないと違和感が生じるようになる。こうなると、習慣化成功ということでしょう。
しかし、この理屈だと、習慣化される前に「努力」のフェーズがある。しょうがないとはいえ、これはしんどい。さらに、習慣が変わるということもあるのではないでしょうか。
特に後者。
学生のころ、あんなに好きでたまらなかったゲームを、社会人になった途端にやらなくなってしまう。休みの日をゲームで終わらせるなんてもったいない。そんなことはないでしょうか。これは、習慣が変わったと言って良いでしょう。
前の職場にいた時は、休みのたびに勉強していた内容を、転職してからは一切やっていない。これも、習慣が変わっているでしょう。
これらのように習慣が変わってしまう原因、それはとても単純だと思います。重要度が変わったからです。もっと直接的に言うならば、その習慣の産物が役に立たなくなったから、と言えるでしょう。
たとえ同じ職場にいても、環境は目まぐるしく変わるわけです。そうなると、時々に必要な能力や知識というのも移り変わっていくでしょう。そうなると、先ほどの「努力のフェーズ」を乗り越える回数が増える。つまり、何度も努力しなければいけないわけです。
私は、そんな人生は嫌なのです。なんとか楽して生活できないものか。しかし、楽なだけでもいけないわけです。社会的にもある程度は上手くやりたい。
そんな私が、発明したのが「とりあえず褒められろ理論」です。この理論で、努力のフェーズを最速で終了させることが出来ると考えています。本理論を用いた流れは以下です。
①ターゲット選定(誰に褒められるかを決める)
②身につけたい物事の中で、ターゲットが褒めそうな知識・能力を選ぶ
③学習する
④会話の中などで、学習した内容をターゲットに披露する
⑤ターゲットに褒められる
⑥ちょっとうれしい
⑦もっと褒められたい。③へ戻る
上記を大まかに分類すると、①~④は努力のフェーズです。そして、⑤~⑦は無双モード。さらに、もし⑤で褒められなかった場合、②に戻り、PDCAを回すことができます。
⑤で褒められた途端、自然とやる気が沸き上がってくることでしょう。
ここで、最初の話しに戻ります。私の運動不足が常態化しているということです。これは良くない。しかしながら、この悪習慣の裏で、私は「とにかく褒められろ理論」を実行しているわけです。
これに気づいたとき、「とにかく褒められろ理論」の最大の弱点が浮かび上がりました。それは、この理論があくまでも他人に依存しているということです。そうなると、褒められも怒られもしない事象に関しては、無関心になってしまう。「そんなことを頑張るくらいなら、褒められることに労力を」という循環がうまれてしまうのです。
もちろん、人間は不完全です。これで良いのかもしれません。しかし、自身の生活を振り返ると「さすがに、動かなすぎでは」と思ってしまう。老後が不安なわけです。60歳くらいになったとき、腰が直角に曲がっていたらどうしよう、と不安なわけです。現時点で、私はひどい猫背です。ここから腰が直角に曲がると、老後は自分の股間を凝視したまま生活するのかと考えると、むなしくなります。まぁ老化にともない、私の股間も頭を垂れてくるとは思うので、接触事故は避けられると踏んでいますが、凝視も避けたいです。
他にも、体力が落ち切って、数段の階段をのぼった程度でゼーハー言うようになったらどうしよう、と思うわけです。これでは、まともに女の子とデートもできやしない。お持ち帰りしたってベッドで爆睡です。まぁ状況によっては、「すぐに手を出さない誠実な男性なのね」という具合で、評価がうなぎ登りになるかもしれません。しかし、いずれ本番を迎えるわけです。
この体力のまま本番を迎えると、あの時の「誠実」が、単なる「衰弱」であったことがバレる。そうすると、その女性が見据えていた将来は音を立てて崩れるでしょう。
書いていたら、なんだか運動したくなってきました。
まずは散歩でも始めてみようと思います。ありがとうございました。