喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

なんか、今日は「なにかを書きたい」という気分ではない。

このブログがどういう見られ方をしているのか分からないが、いつもはそれなりにマジメに考えて、記事を書いている。しかしながら、今日はマジメとかマジメじゃないとかいう話ではない。今日は書きたいことがないまま筆をとっている。

 

あわよくば「それらしいことを言っているが、何も言ってない」という、言うなれば現代アート的な表現にならないかと、心のどこかで期待している。「現代アート」と聞いて想像できる光景のひとつに、アーティストが白紙に向かってインクの付いた筆をブンブンと振り回している姿を思い描くことができるだろう。

 

今の私は、あの状態である。

 

この記事では「何も表現しないことを、表現する」という、難題にチャレンジしていると言っても良いかもしれない。皆様どうだろうか。腑抜けたタイトルからは想像もできないストイックさに、驚きを隠せないのではないだろうか。

 

というか、まずブログで現代アートを表現しようという発想がすばらしい。日頃からの水平展開思考が存分に発揮されている。これは仕事ができる。そもそもアートとは、往々にして「言葉」を必要としない。これは言い換えるならば、言葉では表現できないものを表現しているとも言えるだろう。それを言語化できないかと葛藤しているわけである。正直、今までこの試みを行っているブログは見たことがない。もしかすると需要もないのかもしれない。だが、今私が突破口を開くことで、ブログの価値がまたひとつ広がるかもしれない。ユーチューブが台頭している現在。そして、今後は音声メディアもさらに勢力を増してくるだろう。この実験を成功させることで、この流れに一石を投じたい。そんな思いなのである。

 

どんな熱意があれば、この思考にいたるのか想像し難い。皆様どうだろうか。冒頭のやる気のない書き出しからは想像もできないブロガースピリットに、開いた口が塞がらないのではないだろか。

 

色々と言っているが、「なにかを書きたい」という気分でないことは確かである。言い換えるならば、「純粋に文章を書きたい」ということなのかもしれない。何も考えず、誰のことも考えずに。

 

これは、子供が絵を描くことと近いのかもしれない。子供が書いた絵に対して、「何のためにその絵を描いたのか」などと聞くことはないだろう。子供の絵の作風を分析することなどないだろう。当たり前である。しかし残念ながら、だいたいの大人は、子供が書いた絵に対して「これは何の絵だろうか?」と考える。これは、コミュニケーションの発端としては良いと思うが、子供からしたら「聞かれても困る」ということになる場合がある。

 

今の私も同じである。「これは何の記事?」と聞かれても困る。

 

 

ただキーボードをポチポチと打って現れた文字の羅列なのだから。