喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

「今週ぐらい更新しなくてもいいのでは」、って気分

我われ一人ひとりが持つ人生観というのは、自分を正当化したいという気持ちをもとにして、積みあがっていくものだと思う。

 

例えば、職場で上司が「社会人とは」「部下の教育とは」というテーマを論じたとする。仮に、その理屈があなたの考えと相反するものであったとしても、その職場では上司の考えが正しいものとなる。

 

あなたは、どう咀嚼しても上司の考えに納得できない。「そんな考えは時代遅れだ」「それでは現代の若者はついてこない」と。つまり、心の中では上司を否定する。もちろん私のように未熟な人間は、あとあと自分が間違っていたということに気づくことも少なくない。

 

しかし、瞬間的には上司に否定されたことに反発し、いかに上司が間違っているかについて夜な夜な考える。そして、「やはりこうあるべきだ」と自分の中で決着をつけ、それが己の人生観に影響を与える。これは言い換えると、「反省していない」とも言うことが出来ると思う。その職場では、自分の考えが間違っていたのだから。

 

そして、タイトルにもあるように、今私が「今週ぐらいブログ更新を休んでも良いのではないか」と思っていることに関しても、この現象に近い。

 

今日は朝起きた瞬間、ものすごく首が痛かった。おそらく寝違えたのだと思う。頭を少し下に傾けた姿勢がかなり痛い。一般的には、このぐらいで休むなど「甘えだ」と言われても不思議ではない。たしかに、「寝違えたから今日は休みます」というフレーズを聞いたことがない。だが私は「どんな状況でもブログを更新する」という風潮には否定的な意見を持っている。無理なときは無理だろう。

 

もし、いざ私が病院に行き、患者の立場から「首の痛み」を医者に訴えたらどうだろうか。医者は言うだろう。「無理せず、安静にしていてください」と。私個人の感覚では、寝違えたことによる痛みかもしれない。しかし、私は素人である。私は、私自身の身体の仕組みを医者よりも理解していない。つまり、私のことを私よりも知っている医者が、「無理せず、安静にしていてください」と言っているのだ。

 

医者の意見に対して、「それは間違いだ」と否定する余地が見当たらない。つまり、無理してまでブログを更新する理由が見当たらない。少なくとも、ここで首の痛みに耐えながら、無理にブログを更新することは医者の立場からはオススメできないのだ。

 

だが実際のところどうだろか。寝違えて首が痛くても、仕事をしている人など沢山いるだろう。風邪をひいて体調が悪くても働いている人はいるだろう。むしろ、そっちの方が多数派ではないだろうか。そして、私はそこらの医者よりもブログを沢山書いている自信はある。ブロガーの立場からすれば、ちょっと首が痛いくらいでブログを休むのはオススメできないことを理解はできる。

 

つまり、首の状態に関しては医者の意見を採用するべきだ。しかし、ブログ更新に関してはブロガーの意見を採用するべきである。

 

そして、今私はブログを書いている。ブロガーの意見を採用して更新している。

 

これはブログという世界に身を置く立場として、少なくとも表面上ではブログ界の流れに従っていると言えるだろう。