喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

まるで「わんこそば」に惑わされているように。

目から鱗」というか、「それで良いのか?」というか、「そんなのズルい」というか。とにかく、「わんこそば1杯に規定量がない」という事実に、好奇心と不信感と怒りが同時に押し寄せている。

 

ネットで調べてみても、出てくる情報は「量は店によってバラバラ」ということのみ。つまり、「わんこそば100杯」という記録を樹立したとしても、他店だと90杯くらいである可能性があるということだ。おかしな話である。

 

私が、生前のひいばあちゃんに最後にあったときの記憶。その時、彼女は「私はもう100歳だ」と、しきりに言っていた。だから耳が遠いのだと。しかしながら、それでも100歳には見えない力強さを感じた。足腰はしっかりしており、ご飯もよく食べるし、とてもハキハキと話す。私はそれを見て「ばあちゃん、元気そうでスゴイですね」と、耳元で伝えた。そして、ひいばあちゃんは言う、「私はもう100歳だよ」と。

 

後々聞くと91歳であった。計算がおかしい、そう思った。「私はもう100歳だ」のもうに、そこまでの効力はない。

 

それほどまでに、100という数字は栄誉あるものということか。

 

もちろん、わんこそば愛好家たちは、規定量がないという事実を承知だろう。しかし、己の名誉に傷がつくことを恐れ、声高に言っていないと想像できる。他人に自慢できるトピックが一切ない私にとっては、羨ましくもあり、許しがたいものでもある。

 

このような「わんこそばの記録」のように、明らかにしないほうが良いことは多分にあると思う。

 

例えば、初対面の人と話すとき。ぎこちなく探りあう中で、お互い音楽が好きだということが判明する。テンションが跳ね上がり「音楽好きなんですね!」と、にこやかな雰囲気になる。親交を深めるため、さらに伺うとこちらはロックで、あちらはレゲエなんてことが普通にある。一瞬前のにこやかさが嘘であったかのように、話に急ブレーキがかかる。

 

もしも、お互い音楽が好きという事実が判明し、さらに上記内容を恐れるならば、実に抽象的な方向にしか、話を展開することは出来ない。「ドレミ……の中で一番好きものは何ですか?」「ト音記号ってカワイイですよね!あれ?もしかして、ヘ音記号派ですか(笑)」のような具合。上品な質疑応答を演出しつつも、交友関係に寄与しないことは明白だ。

 

そこで、私が提唱したいのは、両者が音楽好きと分かった時点で「クラシックはどうですか?」と聞く方法である。

 

もし相手がクラシック以外が好きであれば、「クラシックはちょっと」と表情を曇らせるだろう。そこにすぐさま返す「いやぁ、僕もクラシックはちょっと良さが分からないんですよ。」この瞬間、相手は少しこちらに心を開く。さらに続ける。「まず、ちょっと堅苦しいですよね。なんというか、上品な人間しか近寄ってくれるな、みたいな。僕みたいな庶民には合わないですよ。あとなに、ベートーベン?彼の髪型知ってます?なんか、茂木健一郎かよ!みたいな感じなんですよね、脳科学者の。セルフカット感がスゴイんですよ。まぁでも昔にしちゃオシャレだなぁなんて思うんですけどね。そう考えると、指揮棒だけじゃなくてハサミも器用に扱ってたんだなあなんて思いますよね。とにかく僕もクラシックは苦手ですよ。」

 

ここまで言えば、「クラシック苦手同盟」で肩を組めるだろう。

 

お互いが好きなものを探るよりも、お互い苦手なものや詳しくないもののほうが共通である可能性が爆裂に高い。ぜひとも皆様も水平展開してみてほしい。

 

あと、今ふと読み返していると、「ベートーベンが茂木健一郎みたいな髪型をしている」のではなくて、「茂木健一郎がベートーベンみたいな髪型をしている」だということに気づいた。

 

ベートーベンにお詫びして、訂正したい。