喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

亀田史郎のインスタ、「最高」

1Kの家に暮らし、夕食のレパートリーはパスタとチャーハン。洗濯は週に2回程度で、休みの日は、数少ない私服ながら数学Aの組み合わせの公式を駆使し、最大限のバリエーションを表現している。

 

都会の喧騒に溶け込み、そのまま消えてしまいそうなほど、平凡な生活であり、実に平凡な人間である。今すぐ、周囲にいる特定の人に目を向けてほしい。その目を向けた特定の人の隣に座っている人間が私である。あなたの意識の外側から、このブログをお届けさせていただく。

 

そんな私でもインスタグラムをたしなんでいる。そして、インスタグラムに片足程度しか突っ込んでいない私でも、インスタにおいて重要なことが「映え(ばえ)」であることは心得ている。

 

「映え」という抽象的な表現に、どこまでの網羅性があるのかは定かではない。ただ逆に考えれば、抽象的であるがゆえに、今後待ち受ける予期しない「映え」への適応能力を有していることが考察できる。実にすばらしい表現だ。ひとことで言うならば「ヤバい」というところだろうか。インスタ映えって超ヤバい。

 

さらに「今日の平凡が、明日の映えにつながる可能性がある」という、ポジティブな論理を展開することも可能になってくる。そうなると、私の料理や生活スタイル、私服までもが「映え」ていると評価される可能性を秘めていることになるのだ。

 

そして、この「平凡な生活が映える」という論理に挑戦しているインスタグラマーがいる。彼の投稿内容は、基本的に料理。その料理を食べるという短い動画を日々投稿している。その料理というのも、普通のインスタントラーメンや、パンにパスタをのせた謎の料理、おにぎり等。平凡にもほどがある。だが、やたらとクセになるのだ。美味しそうに見えてしまう。手が届く平凡な料理であることも相まって、「今度やってみよう」という気持ちになる。

 

そして、その実践的平凡インスタグラマーこと、飯テロリストの成人男性が、亀田史郎である。亀田史郎と言えば、ボクシング業界に旋風を巻き起こした、あの亀田3兄弟の実の父であり、日本一ガラの悪い家族の大黒柱である。その亀田史郎が、実の娘の協力を得ながら投稿しているのが、彼のインスタグラムだ。

 

ただ残念ながら、亀田史郎の投稿は、「現代における映え」の定義には当てはまらないように思われる。間違いなく定番ではない。ゴツい男が、男くさい料理を、男らしく食べるだけだ。B級グルメ店では、よくある光景である。

 

インスタにさほど精通していない私だが、他人の投稿を見る頻度は多い。ド真ん中のインスタ映えを狙ったグルメ写真から、下心を抱かせ映えの底上げをたくらむセクシー美女、ペットの写真で動物愛護の精神を引き出させ映えを狙うセクシー美女。

 

数多くのインスタグラマーを拝見してきた。「映え」を表現することに関しては素人である私だが、インプットに関しては十分に済ませている所存である。インスタグラマーのグラマーは、グラマラスという意味であることも肌感覚で理解している。

 

そんな私から見た亀田史郎

 

「最高」である。「映え」など、どうでも良い。キレイな料理などいらない、犬・猫など必要ない。インスタグラムという、世界有数のSNSにおける「映え」という革新的なフレーズを拳でKOさせているのが亀田史郎だ。

 

幸か不幸か、「映え」という表現の台頭により、インスタグラムではある種、そこに投稿されるべきコンテンツのイメージが偏っていたかもしれない。そんな時は亀田史郎を見てほしい。まったくインスタサイドに傾倒していない。そして、まったく映えていないし、まったく飾っていない。

 

 

そして、まったくセクシーじゃない。