喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

どうやら1年たったようだ。バズりまくった1年だった。

ホントにどうでも良い話しではあるのだが、ちょうど昨年の今頃、どうやらこのブログを始めたようだ。

 

何の思いも、決意もなく始めたに相応しい、実にダラダラとしたブログへの取り組み姿勢であった。その結果、誰もが羨まないであろうスピードでこのブログは成長していったように思う。

 

いかに私がのんびり屋でも、このブログに傾倒していたら、とっくに心が折れていただろう。みんなに見てもらうなど、おこがましい。ましてやバズることなどあるはずがない。

 

日に日に、自分の中での「バズる」の定義が緩くなっていくのは感じていた。というよりも、このブログの成長があまりに遅いので、バズりの定義を広げないととても心が持たないのである。

 

そんなこともあり、アクセス数を確認したとき、前日よりも多く見られていれば「今日はバズった」ということにしていた。ここで大切なのは、しっかりと世間一般的なバズりの定義に対抗する準備をしておくことだ。

 

一般的なバズりの定義とは、何らかの発信が、口コミなどにより爆発的に拡散されている状態のことだ。注意したいのは「爆発的に拡散」という部分である。この「爆発的に拡散」というのは、どのくらいのことか。例えばツイッターならば、数万リツイートくらいのものだろうか。

 

では、その世間一般的にバズっていると間違いなく認められるであろう数万ツイートの内容。これを読む方は、直近で見たその内容を今思い出せるだろうか。

 

どうだろう。思い出せない人が多いのではないだろうか。シンキングタイムを設けても良い。今日はほとんどの方が休みだろう。朝起きてツイッターを見た方もいるはずだ。まずそもそも、数万リツイートのツイートがあったがどうか、それを正確に答えられるだろうか。この時点で怪しい方も少なからずいるだろう。

 

確かに見たはずなのに思い出せない数万リツイートと、見たことも聞いたこともない私のブログ。この両者があなたに与える影響には、さほど違いがないと言えるのではないだろうか。

 

このことから、私のブログが大きく拡散されていなくても、私個人が「今日はバズった」と判断することは問題ないだろう。数万リツイートされたとしても、その内容を思い出せない人にとって、そのツイートは読まれていない私のブログと大差ない。

 

この理論をもとに、2020年はバズりまくった1年であった。

 

 

健康的にバズりたい方は、ぜひお使いください。用法容量はお守りください。あと、このことはあまり周りの人に言わないように。