喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

「たたきキュウリ」の作り方が難しそうな件

自粛疲れもピークを越えて、いらぬ事を考え始めてしまっている。己の知らないことを、好奇心をもって追及することが、学習の本質であることは義務教育課程で理解している。

 

ゆえに今回は、我が日本国の義務教育から授かりし好奇心に従い、私が抱く「たたきキュウリの作り方が難しそう」という疑問について考えたい。

 

この疑問に取り組むにあたり、まず「たたきキュウリ」の定義を明確にしておく必要があるだろう。インターネット情報によると「たたきキュウリ」とは「キュウリを木の棒でたたいて割り、調味料を浸み込ませたもの」らしい。

 

この定義にある「木の棒でたたいて割り」の部分。これが難しいのではないかと考えている。自宅でこの作業をするぶんには良いだろう。しかし、これが居酒屋で提供する「たたきキュウリ」となると、どうだろうか。叩いて割られたキュウリの見栄えをコントロールする必要がある。

 

お客様の食欲をそそるように、いい具合に叩き割らなければならない。

 

もしも私が、居酒屋のアルバイト初日に先輩から「たたきキュウリを作ってくれ、キュウリをこの棒で叩き割れば良いだけだ」と指示を受けたとする。おそらく力加減が分からないだろう。まず、木の棒で叩いた時、どの角度で、どのくらいの大きさで割れるかはキュウリしだいだ。

 

つまりは、木の棒でキュウリを叩き割るとき、美味しくなるかどうかはキュウリ自身にかかっている。いや、もはや「たたきキュウリ」になるか、キュウリの残骸になるかすらキュウリ自身にかかっている。

 

つまり、先輩からの「たたきキュウリを作れ」という指示を、伝書鳩のようにキュウリ本体にそのまま横流しするのが、このときの私の仕事である。

 

ゆえに私は「おいしくな~れ」と心で念じながら、感覚頼みで木の棒をふりおろすほかない。

 

すでに「たたきキュウリ」を作るための完璧なマニュアルが整備されている、素晴らしい居酒屋も多いだろう。しかし、そうでない居酒屋の従業員は、「たたきキュウリ」の注文がくるたびに不安になるだろう。「今回はうまくいくだろうか」と。これは由々しき事態だ。

 

人間は、先のことが分からないと精神的につらくなる。つまり「たたきキュウリ」も、うまく作れるかどうか分からないと精神的につらくなる。

 

これは抜本的な改善が必要である。そう、マニュアルだ。

 

どこの誰が作っても一定のレベルで「たたきキュウリ」を作れるマニュアルが必要である。このマニュアル作成が成功し、それに従った作業が実践できれば、お客様には常に「美しいたたきキュウリ」を提供でき、従業員は「たたきキュウリ」のストレスから解放されるだろう。

 

しかしながら、「たたきキュウリ」の一番の失敗ポイントである「叩く」という作業。これを別の方法に置き換えてしまうと、「たたき風キュウリ」になってしまう可能性が示唆される。お客様に「叩いてねぇじゃねぇか」と言われかねない。「たたきキュウリ」を提供したいならば、定義に従いキュウリをしっかりと叩かなければならない。

 

しっかりとキュウリを叩きつつ、美しい見栄えを保ち、かつ従業員のストレスを解放するためにはどうすれば良いか。

 

それは、おそらく逃げ道を作れば良いだろう。つまり「失敗しても問題ない」という状況を作り上げれば良いのではなかろうか。

 

具体的に言うと、失敗したキュウリをスムージーにする、お通しの小鉢に回すなど。これで叩きそこなったキュウリを救済し、ひいては従業員も救えるのではないだろうか。

 

素晴らしい。全国の居酒屋店長に伝えたい。ついに閃いてしまった。

 

と思っていた。

 

だが、これを書いている時、さらに思った。

 

 

 

誰でも思いつくだろ、これ