喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

いま何時ですか?と尋ねる人は、もはやタイムトラベラー

スマホ普及率がとんでもないことになっている。2台持ちなんて方も多いのではなかろうか。もちろん今これを読んでいるあなたもスマホを持っているだろう。

 

そんなあなたが、もし「いま何時ですか?」と人から尋ねられたらどうだろうか。「コイツ何言ってるんだ?」と思うだろう。

 

そう、今の我々には現在時刻が分からない状況などほぼない。

 

そんなあなたが、もし「いま何時ですか?」と、愛嬌たっぷりの笑顔を振りまく高齢者に尋ねられたらどうだろうか。2秒固まったあと、脳みそをフル回転して「このお年寄りの方はスマホを持ってないんだ。だから時間が分からない、ゆえに今、時間を聞かれている」とロジックを展開させ、そこから自分のスマホを取り出し、「●時●分です……」と答えることになる。

 

そこには、もはや親切心などなく、恐怖すら感じているに違いない。というか私がそうだった。尋ねられた瞬間、瞳孔がひらき声も出なくなってしまった。もしかすると私が単にコミュ症なだけかもしれない。しかし、スマホを持たない高齢者は、その独自に進化した、いや、むしろ停滞した「スマホを持っていないという己の常識」で明らかに攻撃してきた。私は大きなカルチャーショックを受けたが、相手は笑顔。どうやらダメージを受けているのは私だけのようだった。

 

このように、現代において「いま何時ですか?」と尋ねることは、相手に大きなショックを与えてしまう。その衝撃の大きさや一般的常識からの乖離具合たるやタイムトラベラーが「今は西暦何年ですか?」と尋ねるのと大差ないだろう。むしろタイムトラベラーのほうが、タイムトラベルしている自覚がある可能性が高いので、結果タイムトラベラーにとっても我々にとっても、この出会いは非日常なのである。

 

しかし、時間が分からない高齢者はどうだろうか。内面的にタイムトラベルしてしまっている自覚はない。無自覚タイムトラベラーだ。

 

例えば、異国へ旅に出かけ、そこで出会った優しい部族たちと一夜を共にすることになったとする。出会った瞬間、私は彼らのことを少し警戒していたが、彼らやその子供たちは、私を笑顔で迎えてくれた。今夜の宿がないことを説明すると、みんながこぞって「うちに泊まっていけ」と言ってくれた。肌の色も違えば文化も違うが、やはり人と人。理解しあえるものだと、感慨に浸った。その日の夜、部族のみんなが「一緒に食事をしよう」と誘ってくれたので、私はさらに打ち解けるチャンスだと思い、快く誘いを受けた。食事の時間になり、今夜泊めてくれる家のお父さんに連れられて、会場となる広場へ向かう。広場では、部族のみんなが火の回りを取り囲み、食事を楽しんでいる。中にはすでに酔いがまわって、踊りだしている人もいた。

 

私もその輪の中に入ると、お父さんが「こいつは日本から来た●●っていうヤツだ、今日はみんなと朝まで飲み明かしたいらしい!!」と冗談交じりで、みんなに紹介してくれた。普段、人に注目されることがない私は、照れながらも「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 

そして、ひとしきりあいさつも終わり、食事が自分の前に出されたとき。

 

その食事とやらが、その部族たちが外部から来たお客様を歓迎するために用意した食事とやらが、まるまると太ったバカでかいイモ虫だったら、あなたはどうだろう。

 

 

 

「常識とは時に暴力的だ」と思うのである。