喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

ランボルギーニについて語りたい

車の知識ならば港区女子100-0で大敗する自信があるほどに、車について全く知らない。通りを走っている車を見て、「あ、●●だ!」とごく自然に車種を口に出す人がいるが、自分にとっては、どれもタイヤが4個ついた四角いボックス。何か言うにしても「あ、車だ!」である。知能の停滞を疑われる。

 

そんな中、先日ユーチューバーが、「ランボルギーニ」という車に乗っていた。彼らの会話から察するに、とんでもない高級車と思われる。車の知識がトミカ程度で止まっている自分にとって、ランボルギーニとかいうどこの言語かもわからぬ車の名称をそらんじる某ユーチューバーに人種の違いすら感じた。

 

まず「ランボル・ギーニ」なのか、「ラン・ボルギーニ」なのか。これは発音時のイントネーションに関わる重要な問題だ。これから、町でランボルギーニを見かけて、「あ、ランボルギーニだ!」と叫んだとき、発音がおかしかったら恥ずかしい。高級車なだけになおさら恥ずかしい。

 

とはいえ、身近にランボルギーニに精通した人間もおらず、正解を知るすべがない。とことんランボルギーニから隔離された生活だ。そんな自分でもユーチューブを通して、ランボルギーニを知ることが出来るとは、良い時代になったなぁと思うばかりだ。

 

しかしながら、ランボルギーニの価格、フォルム、存在感を考えると、個人的には「ラン・ボルギーニ」であってほしいと思う。ランボル・ギーニよりもラン・ボルギーニのほうが、響きが強そうで良い。ボルギーニのほうが攻撃力が強そうだ。

 

ボルギーニがギーニの顔面に一発かましてるのが目に浮かぶ。

 

ボルギーニの拳をモロにくらったギーニは、意識が遠のくなかで立っているのが精いっぱい。ギーニは俊敏な動きで相手を翻弄するのが持ち味で、エリート街道を駆けあがっている選手だが、まだデビューして日が浅く、撃たれ弱さが残っているのだ。

 

一方ボルギーニは、ギーニとは正反対のハードパンチャー。俊敏性こそギーニに劣るが、豊富な経験に裏打ちされた立ち回りで、効果的なパンチを次々と決めていく。しかし、実はボルギーニの選手としてのピークはとうに過ぎている。ボルギーニに声援を送るのは、往年の彼を知るファンのみで、大半は今いきおいのあるギーニに向けられたものだった。

 

はじめに強い光を感じた。徐々にもどってくる意識の中で、うっすらと歓声が聞こえはじめてくると、ギーニは自分が負けたことに気づいた。あこがれの選手と同じリングに立てただけで、満足なはずだった。勝てるはずがない試合だった。しかし、自分の弱さを痛感し、涙を抑えることができなかった。

 

その直後、ボルギーニがそっとギーニに近づき、なにやら耳元でささやいた。ギーニは泣きながらも静かにうなずき、ボルギーニはそのままリングを降りていった。

 

翌週、ボルギーニは引退した。

 

ギーニは多くのインタビューで、ボルギーニが最後にささやいた一言を聞かれたが、決して答えようとはしなかった。

 

今思えば、その一言を自分だけのものにすることで、ボルギーニが進むはずだったボクシング人生の続きを自らが歩もうとしていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

という……