喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

そのとき、水分補給に関するその斬新な思想を疑う余地はなかった

「水は飲みこまなくて良い。口の中の渇きを潤すだけで十分だ」。ある日そう監督は言い放った。

 

小学生の頃、野球少年団に所属していた。田舎町の少年団だが、その地域ではなかなかのチームだった。私のポジションはサードで、何を隠そうチーム内では守護神と呼ばれるほどに、抜群の守備力を持っていた。今考えると守護神という言葉は、ふつうピッチャーにつけるものだと思う。だが、甘んじて守護神を受け入れ、守護神としてチームに鎮座していた。実に充実した守護神ライフだった。

 

ある日の試合。

 

その日は、抜きつ抜かれつの接戦で、緊張状態が続いていた。体力的にも精神的にも苦しい。だが今考えると、監督は実際に試合をしている子供たちよりも、大きなストレスを抱えていたと思う。というのも、その日は地方大会の決勝で、親御さんがおおぜい観戦に来ていた。今の自分がその立場になると考えると、負けた時親御さんにどんな顔で会えば良いのか分からない。相当なプレッシャーだろう。

 

そして、監督はプレッシャーに押しつぶされたのか、なかなか戦況を打破できないことにイライラが爆発したのか、こう言った。

 

「水は飲みこまなくて良い。口の中の渇きを潤すだけで十分だ」。

 

実に新鮮な助言だった。今考えると、間違った考えであることは明白で、観戦に来てるお父さんお母さんのもとに連行せざるを得ない。即逮捕すべき発言だ。

 

だが、すでにアドレナリン出まくりのベースボールマシーンと化した私たちに、監督に疑いをもつ思考力はなかった。水を口に含み、くちゅくちゅして吐き出す。言葉の概念、こと水分補給の概念は、この瞬間変わっていた。

 

言葉の意味、それはつまり、ある言葉に対して取るべき態度や行動は、やはり属する集団の価値観に補正されていく。例えば「この仕事をすぐにやって」と頼まれる。そのすぐとは、Aという集団では10分後で良いが、Bでは3秒後にやるべき、となっている。

 

あの監督が提唱する独自の水分補給についても同様だ。我がチームでは、飲み込まなくても水分補給。だが対戦相手は、飲み込んでこそ水分補給。これは、医学的には圧倒的に後者が正しいが、メンタリズム的にはどちらも正しい。だれも悪くない。

 

そう、誰も悪くない。だが最終的には、うちのチームが負けた。

 

やっぱり飲み込んでこそ水分補給。