喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

ネタがない、ネタがない。そして、ネタがない。

自粛しすぎている。自宅にこもりすぎている。これほどまでに周りからの刺激を受けない経験は久しぶりである。そりゃブログも書けないはずだ。仕方がない。そう自分に言い聞かせていた。

 

しかしながら、そのあまりに平坦な生活に「ネタがないから仕方ない」という理屈が通じなくなっているほどに、身体がうずいている。「何かやらなければ」という、人類特有の欲求に震えが止まらない。ついでに右手のピストン運動も止まらない。

 

このままではダメだ。このままでは自粛明けからの本格的な社会復帰に大きく出遅れる。このままでは右手が崩壊する、と危機感を感じたため筆をとったしだいである。

 

そうは言ってもネタがない。人間は行動範囲がせまくなると、話題は自然と減るものだ。高齢者が同じ話を繰り返すのもそれに起因すると、どこぞの学者が言っていた。今私は、高齢者並みの話のバラエティのなさと溢れる精力を兼ね備えた、ある種、子孫繁栄に特化した生物になっていると言って良いだろう。一夫多妻制come on

 

今にも「不倫は文化だ」と言い出しそうな、そんな危機的状況の私にできることは、昔をさかのぼってネタを探すことだろう。たいした人生経験もないが、いちおう義務教育は修了している。

 

ただ学生時代をふりかえってみても、私のような地味な人間にパンチの聞いた話題はない。なんというか個性的な人間はいたが、わざわざブログのネタにするまでもないような中途半端な変人が多かった。

 

恐ろしくクールで、まるで己が全知全能であるかのような振舞い。にもかかわらず、英検は準2級で止まっている角刈りのA君。色々とバランスが悪い気がしていた。だが時として、本人が意図しないところで、爆笑をかっさらう絶妙なバランスの持ち主でもあった。

 

修学旅行では沖縄の美ら海水族館に行った。そこの有名な巨大水槽にみんなが目を光らせていた。そんな中、その巨大水槽に自身の背中をピッタリとつけ、水槽を眺める私たちを、上目遣いで眺めていたナルシストのB君。もはやカッコよかった。

 

高校の時、「ゲームをしよう」とC君の家に遊びに行った。お菓子をみんなで食べ、ゲームも盛り上がってきた頃合い。その家の主であるC君は「新聞配達(夕刊)のバイトに行ってくる」と言い、私たちを家に置いてバイトに行ってしまった。不用心きわまりない、試されているのかとさえ思った。私たちは戸惑いながらもゲームを続けた。島国である日本、そこに住む民族の多様性および独自性に無限の可能性を感じた。

 

多少なりとも生きてきた中で、人間は年齢を重ねるにつれて個性が際立っていくように感じている。みんな個性があり、所属する集団からは乖離した主義主張があるだろう。しかし、特に学生はそれらを抑えがちだ。当然、統率を乱さぬよう周囲に合わせることも必要だろう。その経験は、ある種役に立つ。

 

しかしながら、ときに「自分を信じ、胸を張り、仲間を信じて」突き進まなければならない。

 

 

その結果、ネタになるような話題ができれば、それは全て成功だ。