喫茶マンスペース

今日も特になにも起きず。だがそれで良い

アゴと居眠りと説教の親和性たるや

高校の授業中、居眠りをしていた。眠りから覚めると口がわずかにしか開かなかった。顎関節症だった。私は普段まじめに授業を受けるタイプである。ゆえに、「寝てしまった」という事への動揺と、それに追い打ちをかけるような「口が開かない」という事態に、恐れおののいていた。

 

そしてその瞬間、不運なことに当該授業の総指揮官である国語教師が、私を指名した。頭が寝ぼけ口は開かない私に、今何が出来るというのか。何もできない。まず、話がどこまで進んでいるのか分からない。おまけにいつから寝たかも分からない。今日の国語の授業では何を学ぶ予定だったのか、思い出せない。

 

もっと言えば、今この授業が「国語」であることを裏付ける要素は、国語教師が教壇に立っていることのみ。その国語教師が何やら質問を私に投げかけている。もちろん質問内容は聞こえていた。しかし、その回答が浮かばない。それの意味するところは、「趣味は何ですか?」や「好きな食べ物は何ですか?」のような、ごく一般的な質問ではないということ。万人が答えられる質問ではないということだ。ということは、国語教師がある程度専門性のある質問をこちらに投げかけている。つまり、国語の質問、そして、これは国語の授業。そう確信した。

 

今となっては、その時指名された理由が想像できる。おそらく国語教師は、私が寝ていることに気づいており、起きたタイミングで指名することで、「もう授業中に寝るなよ」ということを伝えようとしたのだろう。納得である。教育のやり方は人それぞれだ。おそらく、この国語教師は、その場で直接「寝るな」と説教をすると、普段まじめに授業を受けている私の心を傷つけてしまうという思いで、このような手法を選んだのだろう。実にありがたい。だが、それでも少々やり方が乱暴ではないだろうか。怒りを大人の理性で隠そうとしたあまりに、いびつな形で説教が具現化されている。

 

しかしながら、そもそも授業中に寝てしまった私が悪い。ここは甘んじて、この処罰を受け入れるしか選択肢はない。公衆の面前で360度どこから見ても説教を受けていると認識されるような醜態は晒したくない。ここは国語教師のやさしさとして受け入れよう。

 

ただ誤算がある。こっちは口が開かない。

 

正確に言うと、わずかにしか口が開かず、実際に声を出してみないと教室内に私の発表内容が伝わるか分からない状態。しかし、すでに教室内は静まり返り、発表を待っている。

 

さらに不幸なことに、口が開かない上に、私は普段から声が小さい。通常モードでも少し手を抜くと聞き返されるほどだ。しかしながら、ここは意を決し、この状況下でも最大限の声量を実現すべく、人生で初となる即席の腹式呼吸で答えた。

 

 

「わかりません」